淡さを形に

面白い作品を面白いと言うだけのブログです.考えたことの備忘録として使うのが主 .考察っぽいことや演出とかに触れることもありますが別段その手のものを勉強しているわけではないのでかなり適当です. Twitterでは@tkihoroloのアカウントにてたまに話してたり話してなかったりします.コメント等あればTwitterにリプ投げてくれると嬉しいです.

クロジ第17回公演 いと恋めやも を見に行った話

演者の牧野由依さんのファンなので「あっ牧野由依さんの演技みたいなぁ当日券あるっぽいなぁ行くか」って見に行ったら面白かったのでその感想です.見に行った回は8/24の19:00の回.当日券の抽選に勝てて本当に良かった.

公演中なのでネタバレ考慮で感想を全部が全部Twitterに垂れ流すわけにもいかないしブログで,という感じ.なのでかなりライトな感想になってしまうかも.

感想

そもそも自分があまり演劇に行く人間じゃないので,こういう媒体で作品を鑑賞するのはとても新鮮でした.とにかく情報量がとても多い.例えばアニメとかなら必要なカットだけを描くので物語のメインの流れだけが視覚として表れるわけだけど,演劇ではそのメインの物語の裏で別キャラの反応があるわけで「物語の世界を切り取って上映している」感覚に近かった.セリフがない登場人物は完全静止しているわけじゃなくて「そこにいる」し,そこの一挙一動が一目で見れるの演劇はとても面白いと感じることができた.

一挙一動ついでに話すならば同じ「手を振る」という動作でもお淑やかな振り方や活発な振り方などなどあるわけで,眼の前で演者の方が登場人物のコンテクストに即して「その登場人物の挙動」をしているのが本当に楽しかった.そこにその世界のその登場人物がちゃんといる.存在感を感じられる.こういうのも演劇ならではの強みだと思う.

あとはもう三石琴乃さんの演技が「すごい」の一言に尽きる.普段各所で聞くくらいには大御所の声優さんというイメージだったけど,演劇で生で見るとひしひしとその"圧"を感じられて感嘆するばかりでした.「これが役者かぁ」という感じ.

見るきっかけになった牧野由依さんに関しても演技が見れて「あー今日来てよかった」って思える程には堪能(?)出来ました.牧野由依さん,(ファンになったきっかけもそうなんですけど)本当に表情の演技が大好きで,それを演劇で見れたのは良かった.後は表情じゃないけどお嬢様っぽい1つ1つの挙動だったり,これから変化していきたくて自由を求めるキャラの演技とかがとにかく最高だった.

さて,ここから先は物語自体の感想です.

パンフレットにも書いてありましたが「愛とはなにか」を問うような作品だったかと思います.「いと恋めやも」とあるように,「恋」から始まるけれども最終的には「愛」の物語となっていて夫婦の愛,家族の愛,兄弟の愛と色々な「愛」が詰まっている作品だなと感じました.(内容を知ってからタイトルを考えると「めやも」という反語がかなり良いパンチになってますよね)

「恋と愛」の違いはなにかという問いがよくありますが,この作品を見てふと脳内に表れたのは「恋は相手の長所を好きになり,愛は短所を含めて受け入れること」という言葉でした.(これについては公演後に読んだパンフレットに同じような言葉があり,「この作品で描いていたものを素直に受けとめられてよかったなぁ」と感じてちょっと嬉しかった)

「人を好きになると愚かになる(狂ってしまう)のにどうして人は人を好きになるのか」みたいなセリフが序盤で話されていました.その言葉のとおり,最終的なつつじの行動って(客観的に見ると)非常に愚かなんですよね.事実だけを受け止めるなら「もしかしたら自分を食べて殺してしまうかもしれない化物の夫」を受け入れるなんてとてもじゃないけどおかしいじゃないですか.でもつつじは鴇忠と共に歩むことを選ぶし,その理由は「好きだから」だし「愛している」からなんだと思った.愛しているからこそ相手が化物であることも受け入れるし,その人のことを想って行動ができる.例え自分が死んでしまおうとも「好きな」相手に生きていてほしいから自分を食べてほしいとも言うし,「(相手が化物であろうと)自分が一緒にいたいからいる」という判断をする.この辺りのつつじちゃんの想いが「愛情」そのもので公演中に涙を流してしまった.どうも最近,女性の愛情描写とか純粋な好きの気持ちを感じると刺さってしまう.*1

愛情についてはもう1つ面白いなと思ったシーンがあって「相手を好きだからが故に食べてしまう」ところ.今回の物語のキーとなる事象なわけだけどこれが本当に面白い.食べてしまうと相手はもちろんいなくなってしまうから普通に考えれば「食べる」という発想はどうもおかしいんだけど,それでも食べてしまう.それは相手がすきだから.この辺の感覚については言語化は出来ないんだけど気持ちとしては非常に理解ができて,多分それは「食べちゃいたいくらい好き」っていう比喩表現まさにそのものなんだと思っている.なんでかはわからないけど人は好きになると食べたくなってしまう心理があって,その描き方がとても面白かった.

ちょっと話は戻るけどこの作品では「人を好きになるのはなぜか」という問いに対して「人は1人だとあやふやな存在で誰かがいるからこそ自己を確立できる」みたいな回答をしていたシーンがあった.これは長年孤独だった緋桜院家のことを指しているのはもちろんとして,これは「孤独を埋めたいからこそ人を好きになる」という捉え方もできる.で,人を好きになると「相手と一緒になりたくなる」んだと思います.それは好きだからこそ相手を感じていたくてお互いを愛すること(いわゆる性行為などなど)に繋がってくるんですけど,肝心なのは「相手と一緒になりたくなる」というところなのかなぁと.好きだから相手と1つになりたくなってしまうわけで,その答えが「食べる」なのかなぁと.相手を食べることで血肉を文字通り自分と1つになれるので,それ故に「食べる」という行為を今回描いたのかなと感じた.この辺は食欲と性欲は関連があるみたいな話にも繋がってきそう.

愛といえば蘇芳が鴇忠のことを羨ましいみたいなことを言ってたのが非常にすき.蘇芳は愛している故に相手を食べちゃったんですけど,鴇忠は愛している故に最後まで人間を食べずに人間として生きていくことを選ぶんですよね.相手を食べてしまってとてつもない後悔をしていたわけだけれども,だからこそ(生きていくためにも必要である)食べたいという生理的衝動に抗って人間として最後まで愛した相手と一緒に歩んでいる鴇忠みたいになりたかった,っていうのがめっちゃすきです.

それと桜の木の下には死体が埋まっていて血を吸っているから紅い,なんて話がありますがまさに今回それがテーマになっていたなぁなんて思いました.そんなことを考えると緋桜院って名字めちゃめちゃいいですよね.

あともう1つ好きなテーマがあって「人は常に変わり続ける」というところです.物語内で頻繁に登場した「化石」はまさに家の中だけで完結させていてなにも変化することのない緋桜院を指しているのはそうなんですけど,それに対する人は「変わろうとすること」をしていてその対比が面白かったな,と.まさにこれは蘇芳と香の関係なんですけど,蘇芳は香になにも変わらずただそこで受け入れてほしいと願うのに対して,香は自分の幸せは自分で探すしそのために仕事をしたいと言い出していました.すごく細かいシーンではあるんですけど,あそこの1シーンに「人間とは常に変わり続けていく生き物」であることを感じていました.*2

そしてこの作品,「わからない」という言葉が多かったように思えます.「娘は宝のような存在であってそれが君にわかるか」という返しにも蘇芳は「わからない」と応えますし,「この先つつじを鴇忠が食べてしまうかもしれないけどそのときも同じこと言える?」みたいな問いにもつつじは「わからない.わからないけど今よりもっと鴇忠のことを好きになっている未来の自分を信じる」といった返しをしています.これが本当に良くて,適当に雰囲気で「わかる」と返されるよりは素直にわからないことはわからないと言ってそれでも.....!と心の芯の芯まで真っ直ぐに吐露されているのが人間臭くて大好きです.

おわりに

とにかく「愛情」について非常に考えされられる作品でした.恋とは愛とはなにか,人を好きになるとは,愛することとは,というテーマについて登場人物の行動を通して考えるのが非常に面白かったです.

演劇を鑑賞するのは数年ぶりくらいだったのですが,この媒体で作品を鑑賞するのはまた新鮮でとても楽しいことにいと恋やめもを通じて気づくことが出来てよかったです.今回は牧野由依さんを目的に鑑賞しましたが,また別の機会では純粋に演劇を見たくて来てみたいなと思いました.

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*1:具体的には佐久間まゆを好きになってからですね.....

*2:これの似たテーマをシンデレラガールズが扱っているので妙にエモく感じてしまった